スポーツと同じように「言葉」づかいや「感性」は練習により鍛えることができる。
いや、衰えを遅らせることができる。
歳とってからのランニングやハードなアスレチックは心臓にかえって負担をかけると言うが、頭脳を鍛える事にはそう言う副作用は少ない。
「言葉」づかいは自分で文章を書くことが訓練になる。
歳とってから書く文章は若い頃と違うが、それなりの味わいが加わる。
絵もそうかもしれない。
老化により手が動かず目が目えなくなれば作品はシンプルになるかもしれないが、単なるシンプルとは違う味わいが加わる。
好奇心や何かを吸収しようとする探究心があれば、高齢になっても心憎い進歩が見込める。
「感性」も幾つになっても鍛える事ができそう。
今、今更ながら谷川俊太郎の詩集を読んでます。

この詩集を読んでると「言葉」選びの大切さや丁寧さにハッとさせられます。
また自分の物事の見方、捉え方がいかに視野の狭いものかと反省させられます。
物事を反対側から見たり、動きながら見ているものを止まってみるとか、逆に止まって見てるものを動きながら見てみるとか、それによって見え方が変わる。
それが「感性」の訓練になる。
あらゆる仕事に関係する「言葉」と「感性」ですが、歳とってもこれらをしなやかに若々しく使いこなすことは無駄ではないと思います。