アメリカの経営学を教える大学では哲学が必修課目だと聞いた事があります。
確かに経営には哲学的側面があります。
私たちは日頃、当たり前の事の目的や意味を深く考える事はしません。
でも哲学ではやるんですね。
今回読んだ本は鷲田清一著「「待つ」ということ」。
「待つ」を深掘り、「待つ」という時に何を待つのか?何のために待つのか?待ったらどうなるのか?誰のために待つのか?どう言う気持ちで待ったら良いのか?を延々と考え続けます。
「待つ」のお題で思い出した俵万智の短歌があります。
「今我を待たせてしまっている君の胸の痛みを思って待とう」
誰かの結婚式の挨拶で私が新婦に送った短歌です。
相手を思う気持ちを大切にしようと言うつもりでこの短歌を送りましたが、鷲田さんはひどい。
待つ事に目的を持たず、ただひたすらに淡々と待つので良いのだと言います。
何ものにも期待せず、自分を開き、起きる事を受け入れる。それで良いのだと。
臨床哲学を進め、哲学カフェをフランスから持ってきて、朝日新聞表紙「折り折りのことば」を飾る鷲田清一さん。
高校生の頃、時間があったらもっと深ぼってみたかった倫理の授業を今、大人になってから哲学読書と言う形で学んでます。
今回のバーチャル哲学教師は鷲田清一さんでした。