ただ今、次回の道新、朝の食卓の文章を書いてます。
今年から2カ月にいっぺんくらい、640文字を書いてます。
世の中に出るので責任を感じます。
なので言葉遣いや脈絡、結局何を言いたいのか?などに気をつけています。
一つの文章を書くのに細かい言葉を含めて20~30回は直します。
気をつけてもなかなか良い文章にはならないものです。
しかし良い文章を書こうとする訓練自体は挨拶など日頃の言葉選びに影響してる気がします。
書いた文章は新聞社の担当者に送るのですが、そこでもチェックが入ります。
文章というものは主観的になってしまう、自分が知ってる前提が他の人に伝わらないという、不可避な構造がある。
担当者、ここでは編集者的な役割なんでしょう、の客観性に晒されて初めて、読者に伝わる事もある。
担当者とのやりとりも文章作成の訓練になる。
いつも思うけど国語の添削みたいだなと。この年になって国語の家庭教師についてもらってるなんて恵まれてるな。
記事の投稿はこれからも続くので、その間に文章作成が上手くなれば良いなと思ってます。