おじさんを後追いするように浴場に入る。浴場は真ん中に湯船があり、両側に洗い場がある。
洗い場は極めて素朴でシャンプー、ボディソープの類は一切無し。
シャワーは壁に固定式で体を動かし湯を当てるしか無い。
物を載せる台が狭いので、持ち込んだシャワーやタオルの置き場に困る。
その点、常連は手提げタイプのプラスチックカゴに一揃い入れ、軽快に持ち運ぶ。
私はタオルをなんとか蛇口に引っ掛け、そんな事もあろうかと家から持ち込んだプッシュ式のシャンプー、ボディソープをタイル床に置き、部屋の隅から椅子と洗面器をココと決めた場所に運んできた。
洗面器にはもちろん、ケロリンの広告が入っている。ケロリンは内外製薬が販売する頭痛・生理痛薬。
今でも現役の薬。
窮屈なケロリン桶に湯を入れ、頭と体を洗う。
殺風景な洗い場は刑務所を彷彿させる。
この浴場の隅っこに監視役がいてもおかしく無い。
体から流れ落ちた泡は蓋のない狭い溝の中を勾配なりにどよーんと流れる。
自分なりのマナーとしてその泡にケロリン桶でドンドン湯をかけ、排水口に追いやる。
頭と体を洗い終わったから、さあ、浴槽に入ろう。
おじさんは既にジャグジー側の浴槽に陣取り、何か口の中で独り言を言ってる。
その声はジャグジーのブクブク音でよく聞こえない。
私はおじさんから遠ざかった場所から湯船に入った。
意外と熱くない。
私の記憶では滝の湯は湯の温度が一定でない。
時間帯や浴槽の場所によって湯温が違う。
しかし昨日の湯は実に私が求めていた温度であった。
私は普段、烏の行水であるが、昨日はそうでなかった。
体が温まりつつ、ずっと浸かっていたいと思う温度だった。
普段は10分ほどで浴槽から上がるのだが、昨日は20分ほど入っていた。
湯につかりながら特段することは無いが、年寄りくさく「ふぅーっ」とか「うーん」とか小声で言ってみたところ意外とリラックスできたんで、これで俺も年寄りの仲間入りだな、と喜んだ。
そうだ、と思って壁を見あげたらアーティストの浜地さんが描いた鳳凰の絵がちゃんとあった。
鳳凰の絵はもう少し大きくても良かったなと思いつつ、それにしてもこの浴室の天井はD型ハウスのように丸く昔の体育館のようだと思う。
それも刑務所を連想させる理由だ。
目をつぶりながら、銭湯のことを考えてみた。
商店街に銭湯があるって珍しいんだろう。
町営住宅に風呂がなかった昔はそこそこの需要はあったんだろうが、そうでは無い今、常連によって銭湯が支えられている。
すごく近ければ自宅の風呂のように気軽に銭湯に通う生活が成立しないでもない。
湯を沸かす時間や労力、燃料費を考えると銭湯は合理的だ。
北海道には29市町に約100ヶ所の公衆浴場がある。
札幌が一番多く31ヶ所。
旭川14、函館11と続く。
石狩管内では石狩市、千歳市、恵庭市に銭湯は一軒もない。
以前、藤沢製菓の藤沢社長が滝の湯で落語イベントをやったことがあるが、あれは良かった。
当別町に銭湯があることは隠れた財産であり、町に住むみんなも銭湯を見直し、上手に活用したら良い。
名残惜しいが、湯船から上がることにした。
おじさんは今度は体を洗ってる。
上がりがけにゴミ箱をのぞいたら、アイスキャンデーの袋が入ってた。
湯上がりのアイスキャンデーを至極の楽しみとするお方がいるのだな。
雑に脱ぎ捨てた衣類を雑に着て、ドライヤーを拝借し、髪を乾かす。
ドライヤーをかける私を写し出す大きな鏡の贈り主はセントラル電気。
父の友達の氏家さんが経営してた懐かしの電気屋さんだ。
半世紀前の商店街は活気があり、商店主は羽ぶりが良かった。
氏家さんは気前よくこの大鏡を贈ったのだろう。
大鏡の横にはコロナ禍での入浴マナーポスターが貼ってあった。
風呂場で会話は控える、隣の人との距離を空ける、脱衣室に長い時間いない。
銭湯と言えばコミュニティの場でもあるはずだが、滑稽なくらいな自己否定に苦笑した。
コロナ禍では沐浴ならぬ黙浴だそうだ。
裸を見られたのでは無いかと言う自意識過剰な私は番台のおばさんに何か言わなきゃと思い、たまに銭湯良いですね、と聞こえるか聞こえないかの言い訳を発し、逃げるように表に出た。
1月末の当別町の天候は厳しい。
昨日も1日、吹雪に近い天候だった。
吹雪と対極をなす銭湯の湯は暖かった。
向かいのパチンコモナコが閉店し、もし滝の湯が無くなれば、悲しい出来事だ。
無責任な常連でない客でない私ではあるが、非力な応援団としてまた来よう。
もちろん、銭湯の湯を楽しむために。