2022.12.17

たかが小屋だけど

昨日の道新で辻野建設工業株式会社が新田園住宅エリアで新しく分譲する住宅エリアと小屋エリアの事を紹介してもらいました。

直接的な問い合わせはなかったですが、知り合いからいろんなリアクションをいただきました。

「楽しそうな取組ですね。辻野さんの活動が拡がっていきますように!」と言ってくれた先輩。

「当別町内で様々なまちづくり活動に取り組まれている、辻野社長の記事です。」と道新電子版をシェアしてくれた人。

LINEグループで記事の写真をアップして「今朝の北海道新聞の地域欄に掲載されてました。辻野社長の記事です。面白い取組みだと思います。」のコメントをくれた大学同期の友達。

「今日の道新見ました。なかなかおもしろいプロジェクトですね。わたしは鉄道が好きなのでレールの上をを手こぎのトロッコで走れれば楽しいかなと想います。たのしみにしていますので頑張って下さい。」とメッセージを送ってくれたお客様。

どこに向かっていくべきかわからない世の中。

私もこの年(61)になってもまだ模索し続けている。

分かってから動くといつになるかわからないから、とりあえず直感で面白そうで行けそうと思う事に一歩踏み出してみる。

この新田園住宅のプロジェクトもそうです。

単に線路の上の小屋にとどまらず、周りの森林や小川や農地や風景をうまく自分の中に取り込んで、新しい付加価値を生み出したり、自分らしさを回帰する。

実際始めると色んなことが思いつくし、皆さんからのリアクションによって妄想がさらに加速する。

昨日の晩、落合陽一と宇野常寛の対談見てて、落合陽一がデジタルがネイチャー化してると言い、正直へぇーと思った。

小屋の周りにある自然って、人の手が加わらずに美しくってなんとなく秩序があり、微妙な調和感が私たちに安らぎを与えてくれる。
世の中のデジタルもそうなる、いやすでにそうなってると落合は言うのです。
デジタルが自然のように存在し、私たちの手が届かない存在として癒しを与えてくれてると言うのです。

ならばリアルネイチャーとデジタルネイチャーを同時に満喫したり、掛け合わせたりすることがこの小屋にいながらにしてできるのではないか?と言うのが昨日時点での気づきです。

この小屋をネイチャーとしてのデジタルを楽しむ場にしても良いし、ネイチャーとしてのデジタルを発信する基地にしても良い。

デジタル時代を表すシンボルとしてこの小屋を使う。

天気の良い日に山歩きや木の実採取、小さな家庭菜園をしたり、少しの間伐で得た木を薪やホダ木にし、小屋に入って里山をテーマにしたデジタルアートを配信したり、デジタル里山を構築しても良い。

たかが、小屋だけど。
ほんとの列車は暴走しちゃいけないけど妄想は暴走する。

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