せっかくの上京なんで何か東京から吸収しよう、とあちこちまわりました。
最初の目的地が千代田区で10時開館なんで、その前に上野公園に行き歩き回りました。
まずは不忍池。
名前は知ってるけど、どんなとこだか知りませんでした。
半分は蓮の葉だらけで、半分はボートで遊覧できるようになってます。
そして上野恩賜公園。
徳川家の菩提寺東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付きました。
最初に彰義隊の墓。
彰義隊(しょうぎたい)は、幕末期、徳川慶喜の警護などを目的として結成された部隊で戊辰戦争の一環である上野戦争で明治新政府軍に敗れて解散した。
徳川家を守ろうとした割にはお墓の回りの草が伸びてたり、墓碑には「戦死之墓」とあるだけで賊軍の憂き目を感じました。
次に天海僧正毛髪塔。
天海僧正は江戸時代の天台宗の高僧で家康没後に日光廟の建立を進言し、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、上野に寛永寺を創建した。
摺鉢山古墳。前方後円墳。
正岡子規記念球場。
正岡子規は野球の愛好者であり上野公園内で野球を楽しんでいたという。
正岡子規は随筆に捕手を守っていたことを書いたり、野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表して野球の普及に貢献した。
上野公園内には博物館、美術館、動物園、図書館、文化会館などの9つの文化施設がある。
国立科学博物館の横にはどデカいシロナガスクジラの彫刻がある。
道路を渡ると寛永寺開山堂、泉龍院、林光院などがあり、境内にも入れるから小さな仏的空間を楽しめる。
寛永寺の霊園に並んで徳川家の墓がある。
上野恩賜公園が日本で初の公園とされてるのはこの象のボードワン博士のおかげ。
長崎医学校教官でオランダ人医師ボードワンが上野戦争によって荒れ果てた上野の山を近代的な公園にすべきと提言しました。
なぜかグラント将軍の立派な象。
アメリカ南北戦争、北軍の英雄であり、18代大統領としての任期を終えたグラント将軍は、夫人とともに世界旅行の途中、1879年6月に日本を訪問し、その歓迎会が上野で開かれました。
寛永寺五重塔。
上野大仏パゴダ。
約6メートルの釈迦如来坐像は関東大震災に至る度重なる罹災により損壊し、胴体も戦時の金属供出で失われた。
現在は薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設される。
明治5年に創業したレストラン静養軒。ロータリークラブの例会場にもなってました。
花園稲荷神社。こじんまりしたヒューマンスケールな神社。
以上、東京吸収パート1。
あー、書くのに時間かかった。