2023.10.10

ランボーを読む

シルベスター・スタローンではないですよ。

フランスの詩人アルチュール・ランボー。
(1854年10月20日 – 1891年11月10日)

「別れ」の一部から。
・・・・・
もう秋か。━それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか。 俺達は清らかな光の発見に志す身ではないのか。━季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。

秋だ。俺たちの舟は、動かぬ霧の中を、纜(ともづな)を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥のしみついた空を負う巨きな町を目指して、 舳先をまわす。ああ、腐った襤褸、雨にうたれたパン、泥酔よ、俺を磔刑にした幾千の愛慾よ。さてこそ、ついには審かれねばならぬ幾百萬の魂と死屍を啖(く)うこの女王蝙蝠の死ぬ時はないだろう。皮膚は泥と鼠疫(ペスト)に蝕まれ、蛆虫は一面に頭髪や腋の下を這い、大きい奴は心臓に這い込み、 年も情けも辨えぬ、見知らぬ人の直中に、横わる俺の姿が叉見える、…俺はそうして死んでいたのかもしれない、…ああ、むごたらしいことを考える、俺は悲惨を憎悪する。
冬が慰安の季節なら、俺には冬がこわいのだ。
・・・・・
読みづらいと思う人が多いかと思いますが、ゆっくりじっくり味わうと凄い詩だなとわかる気がします。

芸術とは既成概念を壊すことができ、人々はそれを楽しむのだと言う説があります。

ランボーは15才から19才で詩を書き、その後はバッタリ書かなくなります。
そして37才で死ぬまで商人として働きます。

ランボーは共感覚を持っていたと言われています。
共感覚とは例えば視覚と聴覚が連動している状態。
音を聞いたらイメージが湧き上がる感覚。

現代社会において創造性とは貴重なもので、多くの人が創造性を獲得するにはどうしたものかと悩んでるかと思います。

ランボーを読んだからどうのこうのと言うわけじゃありませんが、こういった文章表現から自分らしさのヒントが得られないかなと思います。

この投稿を共有する
  • Twitter
  • Facebook
アーカイブ
一覧へ