思えば随分回り道をする事になってしまった。初めは辻野建設工業株式会社の建てる家についてどうあるべきかを考えていた。次に美的空間や暮らしの満足感について考え始め、それが生き甲斐とはなんぞや?と言う疑問に変わっていった。そこで一旦立ちどまり、生き甲斐を自分なりに深掘りしてみる事になった。そして神谷美恵子にたどり着いた。神谷美恵子の生き甲斐に対する四つの問いに対して自分で答えてみた。一 自分の生存は何かの為、または誰かのために必要であるか。A これは経営理念に書いてある事が答えとなるが、お客様の夢や希望を叶える事や地域が生き生きとなるために自分の存在を活かそうと思っているので、傲慢でなければ誰かのために必要となってるのではないか?二 自分固有の生きていく目標は何かあるとすれば、それに忠実に生きているか。A 自分にもう少し能力があれば良かったと思うが、自分という資源を最大限活用しようと思ってやってるつもり。三 以上、あるいはその他から判断して自分は生きている資格があるか。A 人に何かを押し付けるのに気をつけ、謙虚な姿勢ながら何かの成果を残したいとの思いが実現されるならば生きてる価値はあるかも。四 一般に人生と言うものが生きるのに値するものであるか。A 至らない点はいっぱいあり、もう一回生きたとしても不完全さは変わらなさそう。であれば不完全さを内包しながら、平凡に面白おかしく生きていくならば、生きる事に価値はある。こんなんで良いのかな?と言う事でもう少し生き甲斐を巡ってもう少し思索するつもり。神谷美恵子はこの生き甲斐についてを書くのに7年かかったそう。本の後半には日記の一部や知人のコメントがあり、それも興味深かった。神谷美恵子の言ってる事で心に響いたのは「心の複眼視」。目でものを見る時、両目の視覚の違いが奥行きを感じさせるが、心も二つ用意し、二つの心で感じる事により、感じ方に奥行きが出る。訓練がいりそうだが、これができたら世の中がより面白く見えるかも。