この夏、当別の小さな町に衝撃が走った。
このブログで人の死をとり上げるのは憚るのだけど、書かなければ気が済まない。
Kくんがガンで亡くなった。39才だった。
私と彼のお父さんAさんとは商工会青年部から始まり30年来の付き合いだ。
私がAさんと知り合い、Aさん宅によく飲みに行った時は姉や妹、Kくんらは幼く、可愛らしい子供達だった。
それから時は20年弱、時が過ぎ、彼は東京の会社勤めを辞め、当別に戻ってきた。
私はAさんが務めてた商店街の会長を引継ぎ、何か新しい事をやろうと考えてた時に商店街の若手であるKくんとUくんに声をかけ、補助金をゲットし、歩行者天国のイベントを始めた。
やっぱり若手がいると物事が進むな、と頼もしく思った。
このイベントが今、商工会でやっているナイトパークになった。
時が重なるが、 Kくんが生ゴミ堆肥化事業に取り組もうとした時があった。
彼は大学院で環境を学んだこともあり、環境問題に関心があったのだと思う。
美唄に視察に行ったり、町内で勉強会を行ったりして Kくんはかなりこの件で奔走した。
結局、採算の問題で断念したのだろうが、もし彼が長生きしていたらこのゴミ問題に再チャレンジしただろうと私は確信している。
さっきの商店街事業で空き店舗を使った子供達向けの勉強会をやった。
札幌で塾をやってたNさんが講師役で、 KくんとNさんはそこで知り合いになり、 Kくん奥さんと合流しKくん会社の2階で塾をやる事になったんだと思う。
Kくんは人を集める能力があった。
大人達はこの小さな町で塾に行く子供がどんだけいるのだろうと疑問に思ったし、私もそのうちの1人だった。
しかし Kくんには勝算があったんだろう。
実際、ピーク時には40人くらいの生徒がいたらしい。
なぜ Kくんには人を集める能力があったんだろう?
おそらく潜在的ニーズをとらえる力があり、それを確定未来としてとらえ、自信を持って行動するから周囲もあれよあれよと巻き込まれたのだろう。
もし本当にそうだとしたら、当別町はものすごく惜しい人を失った事になる。
この推察はかなりの確率で当たっている。
彼が数年前に始めたレストランのオフショアは流行り、彼にとって無念だったろう新規事業のコインランドリーはこれから流行るだろう。
私と Kくんは高校の同窓生で、10年ほど前に一緒に当別同窓会を立ち上げたことがあった。
毎年、一回、総会を兼ねた飲み会を催しており本当はそろそろその企画をしなければならない時期なのだが、 Kくんの事もあり、今年はまだ動いていない。
Kくんとはすぐに会える中だが、同窓会で定期的に会い、次は何を企んでるのか聞くのが楽しみだった。
Kくんのお通夜にはものすごい人が来ていた。
SNSにも追悼のメッセージがたくさんある。
私と Kくんの関係ですらまだいろいろあるのに、 Kくんとつながりがある多くの人の心に突き刺さっている思い出は簡単にはどっかに行かないのではないか。
私はKくんの思い出である時のカケラは痛いけど抜かないつもりである。