最近は人間関係に関する事で時間を要することが多い。
例えば若手新人とその上司の関係。
若手が仕事ができない。何回言ってもわからないからつい強い言葉で当たってしまう。
あるいは隣人関係。
あるいは店子と大家さん。
人は皆、弱さ(悪さ)と良さを持っている。
弱さが目につき始めると、結果的に攻める。
攻め始めるとその人はダメだと言うレッテルを貼られる。
それが偏見となり、その人が何をやってもダメになり、良さが評価されなくなる。
その人の次の行動がマイナス予測される。
実際その通り、99%次もダメかもかもしれない。
ダメな人を擁護しても、次その人がダメなことをしでかすと、それねだからやっぱりダメでしょうとなる。
その人の良さの期待値がゼロになり、さらに進むと攻める場合に被害者意識さえ、芽生える。
この人がいるおかげで仕事が進まない、攻める側の人が不愉快感に支配される。
私たちは多様性社会に進んでいかなければならない。
外国人を始めいろんなタイプの人達と行動を共にすることが増えていく。
受刑者を雇用するかもしれない。
信用しすぎて裏切られるかもしれない、騙されるかもしれない、犯罪に巻き込まれるかもしれない。
もちろん自己防衛は大事です。
周辺をトラブルに巻き込むのは避けたいのはヤマヤマ。
それでも何かが引っ掛かる。
自分が嫌いな同調圧力をかける側に回ってはいやしないか?
感情に支配されすぎ、冷静な目を失ってはいやしないか?
自分に人を裁く権利があるのだろうか?
今の世の中から寛容性が忘れ去られてはいやしないか?
確率だけで判断して良いのか?
残り1%に期待するのはバカだろうか?
99%の人がもし間違ってたら怖く無い?
偏見には自分が正しいと言う前提が必要。
確率は当たる確率が高いから必要で当然人をトラブルに巻き込む事は良くない。自己防衛=正当防衛。
それでも自分なりの公平さは保ちたい。
多様性には力がある、だから、自分と違った個性と交わって出す答えには力がある。
そんな成功体験を共有できる組織、人間関係、社会になれば良いのかなぁ。